![]() |
||||||||
|
|
|
全国体育学習研究会の学習指導は常に子どもの立場から検討されている。そしてその学習指導のあり方を方法的に具体化する際の重要な手がかりが,指導性と自主性の調整であり自発性と指導性の調整である。前者はグループ学習の時代に,後者は楽しい体育の時代に関連している。 ■指導性と自主性の調整 戦前の教師中心の一斉指導による教師の命令や号令に従うだけの子どもの活動は,民主的な社会に変わった戦後の社会で期待される人間像とは相容れないものとされ,米国のプラグマティズムを背景にした「子ども中心」あるいは「なすことによって学ぶ」を理念とするその当時の新しい学習指導を模索するなかでグループ学習は誕生した。こうして方向づけられた学習指導は,教える教師と学ぶ子どもの関係を上下ではなく横の関係でとらえ,教師の指導についてもその核心は教師の意図を子どもの側にうつすところにあるから,指導を「うつし」と呼ぶことにしたのである。そして単元や1時間の「計画のうつし」と「個々の学習内容とそのための学習活動のうつし」に分けられ,学習活動に不十分な点があれば,「うつしなおし」が行われた。また,うつしのしかたについても,細かい点までうつし,子どもはそのとおりにやりさえすればよいというような,いわば指導性の強いうつしを「与えるうつし」,一方,創意工夫などの子どもの力を引き出す意図をもったうつしを「引き出すうつし」と呼び,「与えるうつし」から「与えながら同時に引き出すうつし」へ移行していくことが望ましいとされた。このようにしてグループ学習の時代は,教師の指導性と子どもの自主性がうつしの技法によって調整されたのである。 ■自発性と指導性の調整 プレイ論が導入され,脱工業社会においては,生活文化としてプレイとしてのスポーツが享受される。そこでは,人々は各スポーツの魅力を求めてスポーツを自発的に行うのが普通である。かくして,プレイとしてのスポーツはそれ自身で教育の目標であり内容として位置づく,と考えられるようになった。こうしてプレイとしてのスポーツの魅力(プレーヤーから見た運動の特性)を学習の目標として重視し,その目標を求めた学習の道筋が設定されることになった。 グループ学習の時代の教師のうつしによって子どもの自主的な学習を導き出すという考え方から,人々は各スポーツの魅力を求めてスポーツを行うのであれば,体育の授業においても子どもは各スポーツの魅力を求めてスポーツの学習に自発的に取り組む。グループ学習時代は教師による外発的な動機づけが子どもの学習への自主性を引き出すと考えたが,楽しい体育では各スポーツの独自の魅力が内発的動機となって子どもの自発的学習を導くと考えられたのである。しかし,体育の授業であれば子どもが自発的にスポーツを楽しんでいれば,それでよしということにはならない。この自発的で楽しい活動が自発的な楽しい学習に結びつかなくてはならない。ここに子どもの自発性と教師の指導性を調整する重要な課題が存在しているのである。 楽しい体育の実際の授業を見ると,楽しく活動してはいるが学習が希薄な授業がなお少なからず見受けられる。これらの授業は,教師自身が楽しい体育を誤解し,楽しい活動が展開すればそれが楽しい体育であるととらえている場合が多いようである。そうであれば,教師の楽しい体育に対する認識を改めさせる必要がまずある。そのうえで,教師は,計画の段階では,運動の一般的特性,そして特に子どもから見た特性,そして学習のねらいと活動を,楽しい学習へ向けて再度点検することが求められる。単元が始まれば,子どもの活動をしっかり観察し,必要があればねらいに関する指導および活動に関する指導を臨機応変に工夫して実施することが必要である。その際に「与えるうつし」や「引き出すうつし」などのグループ学習時代のうつしの技法は現在でも参考になるはずである。(永島惇正) |